あちこち工事中で複雑極まりない一番の難関だったシンジュク・ステイションを抜けたら、後はオダキュウ・ラインで一本。途中まではモスクがあるので行ったことがあるが、その先は未踏地帯だ。
初めて電車で行く日本の自宅は、空港からどうしたって便利とは言えない場所であった。その気になれば、身一つでも海だろうと山だろうと軽く越えていける自分達ではあるが(方法は企業秘密だ)、上司に合わせて飛行機だってよく使うというのに。
トウキョウには、会議やら商用やらで何度か来たことがあり、親近感を抱かせたが、その奥は初めてだった。日本に会うときは大抵空港に送迎を手配してくれていて、都心の便利な宿まで確保されてあったからだ。その気配りは感心すべきところである。
景色を見たかったので、視界を広くとろうと仮面は外していた。砂漠の焼けるような日差しから目を守るためにしているので、夜は外すこともあるし、こんな穏やかな秋の光では必要がないのだ。どんな格好をしていても、自分たちは一般人には気にされないので、着けていても問題はないのだが。
昼の電車では、小型ゲームをしているサラリーマンや、携帯電話のボタンを押している老人が座っていると思えば、隣ではほとんど下着の女性がマスカラを付けていた。新聞を片手に眠る子どもまでもいる。ところ変われば何とやら。
それにしても、いくら電車に乗っても、家がまだまだ所せしと続くのは不思議な光景だった。
ようやく住宅地の狭間にぽつりぽつりと雑木林や畑が見え始めた頃に、最寄り駅に着いた。言語はどこの国でも不自由ないくらいに理解できるが、いかんせん土地勘はない。
日本の女性たちは親切だった。おにーさんまじいけめんまじやべーまじやべーまじやべー!日本語まじうめー!何やってんの?DJ?ラッパー?デルモ?まじやべー!なんかさーダル十年後って感じじゃね?まじやべー!兄リッシュ?うけるー!野球やってー!どうやら、まじやべーは褒め言葉らしい。
何だか知らないが、少し前に日本に野球帽をかぶらされて写真を撮られたことと、関係しているような気がする。サッカー派なんだがねぃ。確か、昔はドンパチやったが最近は水タバコを同じ店で吸うぐらいにはなった隣人が、日本の話をしてたら自慢していたような気もする。他人の自慢話ほど面白くないものはないので、きっと聞き流していたのだろう。もともと、都合の悪いものについては宵越しの銭並の速度で消えるタチだ。
自分に一般の東洋人や黒人の区別がつかないように、彼らもどうやら自分の肌が褐色の時点で、黒人とヒスパニックと褐色コーカソイドの区別はつかないらしい。そもそもコーカソイド、つまり白人の源流はこちらだと言うのに、まあ、知らないならしょうがない。逆立ちしたってアメリカの軽薄な音楽はできないし、アメリカのやたらアナウンサーが叫びまくるスポーツをやる気もないので住所を聞いたら、蛍光グリーンのアイシャドウを塗った少女たちは駅員を呼んできた。
それにしても、流石は日本さん、教育が行き届いているものでぃ、と感心が沸いた。駅員は駅の外のことは自分はわからないから、わざわざ警察官を呼んで来てくれて、その警察官は、普通の外国人観光客に見えるはずの自分に、実に丁寧に道を教えてくれた。</p><p> 他の先進国でなら、有色人種がそんなくだらないことを聞くなと踏ん反りかえるに違いない。おまけに最近は、どこもムスリム――いわゆるイスラム教徒に風当たりは厳しい。
正直なところを言えば、自分はあの教義の開祖より古くから国として生きてきたが、当時の厳しい砂漠の地で生きるにはそれなりに合理的な理屈を展開して、何より様々な部族間の闘争を停止させる力があることを認めたので受け入れた。だから、他の諸国より時代に合った解釈をしている程度の軽い宗教意識だ。原理主義に傾いているところは融通が利かねーなぁ、くらいの目で見ているわけだが、そうすると、いい加減と捉えられている自分の立ち場は、イスラムの中でも微妙なものである。
地理的なはざまから、EUに入りたいところだけど、痛いところをつつかれまくって、それはまだ少し先になりそうだ。
その条件の一つ、東北のうるさい奴と久しぶりに渋々会ったことを上司が喜んで休みをくれた。まだ、頭の痛ぇとこはあるがせっかくの休み。ぱぁっと楽しいことをしたい。
だから、ふと日本に会いたくなった。
会って話がしたくなった。
どうも思い立ったら行動してしまうタチだ。どうも自分という存在は、いい歳をしているにも関わらず、親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしてい……ん? これどっかで読んだことのあるフレーズだ。
スーパーを過ぎ、パチンコ屋を抜け、コンビニがいくつか並び、駐車場駐車場、昼時なのにシャッターが閉まりきった店、またコンビニという風に続いた商店街を抜けている途中で雨が降り始め、傘を購入した。冬ならともかく夏の残る時期に自分の家で雨は見ない。なかなかない天候なのでちょっと面白い。傘も安いのにカラフルでいい土産になりそうだ。 鮮やかな黄緑が、靄のかかる町に映える。
ウニ何とかと読めた巨大な白地に赤く書かれた看板が高い場所で自己主張している衣料品店の角を曲がり、形だけは欧米風だがずっと縮小された家が無理して並んだ坂を上ったところにある日本の家についた。
丘の上からは、竹やぶごしに畑が見えた。
乾かした植物の束を屋根に乗せたの平屋建て。確か観光ガイドで見たことがある。シラカワ・ゴーとか何とか。しかし、こういうものは山奥にしかない珍しいのではないだろうか。珍しいからガイドブックに載るのだろうし。ビルの立ち並ぶ都心から、電車で一本、幹線道路から数十mの距離にあるのは、多分、なかなかないことだろう。
生垣に囲まれた実に端正で植物の豊かな家には、喧騒は届かなかった。
最新鋭のパラボナアンテナと、玄関脇に置かれた小型の紺色のハイブリッドカーでさえも、この家の一部になっていた。
呼び鈴を鳴らした。
誰も出ない。留守かと思った。確かに約束はしていない。日本だって多忙だろうに我ながら考えなしだと舌打した。
ふと気配がして脇に顔を向けた。建物の角から犬が頭を出していた。一度写真を見せてもらったことがある日本の愛犬だ。
それにしても、庭に自由に出入りできる構造だなんて随分無用心だ。治安がいいからか。なるほど、だから警察官も観光客に道を教えるぐらいしか仕事が無いのかもしれない。
「お前のご主人様はどこでぃ?」
額を撫でたらくんくん鼻を鳴らした。服の袂に寄ってきて引っ張ってくる。
無碍にするわけにもいかなくて、犬の縄張りらしい庭まで来てしまった。住居不法侵入扱いにならなければいいが。
まだ、袂の匂いをふんふん嗅いでいる犬に、その理由がわかった。土産だ。特級品のヘーゼルナッツを持ってきている。やはり鼻が利く。
「しょうがねーな。ちょっとだけでさぁ?」
袋を取り出して、開け放しの縁側の隅に座った。つくづく無用心だ。
これも大国中の大国の余裕ってやつかねぃ、と思いつつ、家の中に目をやった。単なる好奇心だ。
日本がいた。
低い卓上に向かって座っていた。うつむいていた。
犬を思わず抱きかかえて、息を殺した。
ただでさえ、たおやかな背中がその姿勢も相まって小さく見える。灰色から青みがかった黒に至る着物をまとったまま、その手には……一瞬で見えてしまった自分が嫌だ。長年の血なまぐさい経験から獣のような目をしていると、よくケンカ相手に罵られることだが否定できない。
小さな手が支えていたのは新聞の切り抜きの吹けば飛ぶような紙で、大部分は一面の黄色い花畑だった。手前で少女が笑っている。着飾っているわけではない、媚びも売っていない、ともすると泥臭くやぼったい、だからこそ無心に、花の溢れた地と撮影者を信じ切ったことがわかる良い写真だった。 </p><p>
しかし、その広大な景色や、少女の鼻筋は日本の近辺のものではないはずだ。どちらかと言えば自分ちの住民たちに近い。
それで気づいた。
一ヶ月ほど前、世界中で報道されたニュースだ。
現地のために働いていた日本人に起こった悲劇だ。写真の存在は、通常は顔を隠すことの多い現地の少女たちと、彼がここまで仲良くなっていたという証明のようなもので、世界中に広がっていた。
血なまぐさいニュースとは裏腹に、あまりにも幸福な世界が写真の中だけには存在していたから、誰しもが涙したという。
事件が降ったのは、単なる旅行者や政府関係者ではない。役に立つことをしてくれる日本、というイメージを誰もが持っていたはずだったのに、一部の暴走で何もかもが台無しになった。被害に合ったNGOは、長年活動していた場所を離れざるを得ず、それに感謝をしていた住民達は哀しみ、犯行グループでさえも同じ民族からなぜそんなことをしたと問い詰められ、石投げの刑や八つ裂きの刑など前時代的な話が飛び交う。誰も得なんざしていないのに、事件は起こってしまったのだ。
とは言え、ショッキングな内容であるのにも関わらず、もう世界は違うニュースに飛びついている。大企業の倒産劇だとか、どこかの国で起きたテロだとか。自分だって、この日本の姿を見るまではすっかり忘れていたのだ。
近隣諸国の動きはある程度把握している。EU入りも考えている自分には、いつテロが起こってもおかしくないため用心するに越したことはない。だから、徹底的に調査をしてそれを日本に報告すればと考えたが、そんなこと知っても喜ばないだろう。
アフガニスタンには、長年会っていない。行方もわからない。消えてしまったのかも知れない。見つけたところで責められるものでもない。
アメリカはイラク探しも平行しているので、すっかり眼鏡の奥が寝不足で充血しているらしい。好きな奴ではないが、同情はする。大きく広げすぎた腕をまとめるのは、いつの時代も困難なものだ。 そのためには多少の手を汚すし、実際自分も無茶やったおかげで今になって苦労している。自分の頭痛と、アメリカの充血。真夏のどまんなかの日は、日本も上司次第で胃が痛いらしい。
どれもこれも、そういう時期だった、の一言では済まされないけれど、そこを抜けた今、時代遅れの国を見ると、阿呆なことだとせせら笑いたくなる。その気持ちは、昔の自分を見ているからかもしれないけれど。
このまま、何も知らなかったことにして帰ぇるか。
だが、一人にはしておけないし、第一、自分の立つ背はない。粋じゃない。日本と原理主義国の間に立てるのは、自分くらいしかいないだろうから。
雨だれが落ちるのも止めてやりたくなるほど、日本の家は静かだった。
抱えた犬も静かにしていた。番犬の役目を果たしてねぇなぁと思ったが、それはそれで日本がこの犬をかわいがる理由なのかもしれない。
年齢も変わらないどころか、自分よりずっとしっかりした経済基盤を持ち、民もよく教育している日本だが、どこかこういう甘さがある。
だから、こんな風にふらりと会いたくなってしまうのかもしれない。
決して自分は泣くことも、こんな風に雨が降ることもまずないからこそ、いい歳して、そういうことのできる日本に会いたくなるのかもしれない。
静かな雨だ。
雲があると空は晴れのときよりも近く感じる。
傘を無音で閉じて、木の柱にもたれかかり目も閉じた。泣き声は聴こえないか、すすり震える響きは伝わらないか。
耳に届いたら玄関へ行こう。何も知らなかったように呼び鈴を押そう。
それからどうするかは、そのとき考えりゃいい。
fin
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