好みが基本的にじじ臭いことを自覚している齢二千と少しの某国家は、その日、デジタル表示が並ぶカウンターに財布とポイントカードと駐車券片手に並んでいた。
恰好は、しまむらで買ったTシャツとスラックスという、A-BOYとフツメンの中間ほどの服装だったが、単独行動なので問題はないでしょうというのが彼の弁ではあった。服装としては和服の方が楽ではあるが、いくらなんでも郊外の大型モールで和服姿の男性が一人でふらふらしていたら、どんだけ空気を読まない場違いになるのか想像するだけで顔が赤くなりそうだった。
休日のシネコンは、家族サービス中の父親と子どもたち(きっと母親は隣のアウトレットで買い物中だ)や、カップル(それにしてもどうして同じ話題ばかり繰り返すのだろうか)で賑わっていた。娯楽産業は栄えることは良いことですね、と、不況なんだから働くかせめてサービスデイじゃなくて基本料金で来いよお前ら、という意見のうち前者に天秤が少なくとも本日は傾いている彼は、前に並んでいた隣国の恋愛映画を見ようとしている中年女性二人組と目が合い、にっこり笑った。もちろん、自分も同類であることはハナから棚に上げている。
本日は愛読の漫画が、ハリウッドで実写映画になったということで、どうせ原作通りに進まないでしょうねと思いつつも、ファン心理としては足を運ばないわけにはいかず、だからといって通常料金で行くのも悔しいので、『人気の商業施設を視察する』という名目を自分で唱えながらこうして来た次第だった。
というわけで、彼はいつもより2割増しほど毒舌気味だった。もちろん、脳内だけで。
チケットを受け取り、けばけばしさを薄暗い照明で隠した通路を進んで、やれやれと座席についた彼は、まわりにちらほら同類と思われる一人客の男性たちに親近感を覚えつつも、売店で高いと思いつつ買ったお茶のペットボトルをホルダーにさしポップコーンを膝に乗せた。やや冷え症なので、借し出し毛布もばっちりもらってある。
期待半分不安半分の中、劇場は暗くなり、予告編が始まった。
どうして予告編て本編より面白かったりするんでしょうねと思いつつも、アクションやSFなど派手な映画が意外と好きだったりするので、心の中でポストイットをつけていった。
緑茶が滲みたポップコーンを吹き出してしまうまでは。
『で、どうだったんだ? その映画』
「あまりに新作の予告編で衝撃を受けて、本編の内容、覚えていないんですよね」
新しいもの好きは、好奇心に負けやすい。こんなことで敗北してしまう自分に嫌悪を及ぼしつつ、電話越しの相手に見えないことを承知の上で袖で目元を覆った。
『しかしよく見つけたな。結構小さく映ってたぞ』
あの予告編は、アメリカさんのところの配給会社の映画を見ないと見られないはずだということに気づいたが、あえてそれを指摘することでもないだろう。人には見えない八橋の中で、ツンデレ乙と唱えるに留めた。
『べっ、別にあいつの映画が見たかったわけじゃないからな、俺のところからのキャストが気になっただけだからな!』
ツンデレデレ乙。
『そう言えば、部下の情報筋から聞いた話だが……』
本人がこの会話を聞いたら、年寄りは昔話がまったく好きだね!と眉毛をツンツンされるだろうな、と思いつつ、その気持ちもわからないでもないので、付き合ってやることにした。
どちらにしろ、原稿中の夜は長い。いいBGM代わりになるだろう。ハンドフリーで通話可能にできるようにした技術者を、彼は誇りに思った。
某年某日某所、詳細名は伏せさせてもらいますが、ターゲットは我々の追跡が辛うじて可能なスピードでシアター街の目抜き道理を歩いておりました。
まったく肥満大……おっと皮肉がすみましたね、失礼。
ともかく、私どもでも辛うじて耳に入ってそれが不快ではない名前が星型となって足元に名誉として並んでいる道路に、赤と青の縞模様と星印が入ったスニーカーでターゲットは歩いておりました。
一軒のスタンドに入っていきます。もちろん、我々も続きました。らしいように、バドワイザーを頼みました。まったくどうしてあんな薄味に貴重な外貨を出さなきゃいけないものか理解に苦しみますが、そこがこの仕事の厳しいところです。
注文もせず、おこちゃま舌のターゲットはMのマークのシェークを……ええ、確か、開発中のワイルドラズベリーパンチ味でした。販売していないところから言って、ひどい代物なのでしょう、ともかく、ろくなものではない液体を、ずるずる啜りながら、カウンターでうなだれている人物に声をかけました。我々は、記憶の限りの政府要人や財界人のデータを引き出しましたが、その顔に見覚えはありませんでした。
まあ、固有名詞を出すのは問題があるので、偽名として「沈没船」とでもしておきましょうか。何しろ、シアター街ではそうそう見られない沈没具合でしたから。ちょっとぼやけた具合がありますので、ターゲットのうちの出身ではないのかもしれませんね。
会話は、そうですね……うなだれる人物に対して、ターゲットは励ましているような明るい調子なのに、まったくずけずけと改善点や問題点を指摘するばかりで、ますます相手をうなだれさせる原因となっていました。まあ、理論や筋は通っていますから、それはある意味正論ではありますがね。
ともかく、「沈没船」は足取り重く、スタンドの代金を払って外に出て行きました。ターゲットは、今度はたっぷりのフライドチキンを紙袋に入れて後に続きました。いつの間にそんな注文をしていたのか、まったくもって呆れます。
スタンドの外に出た「沈没船」は、電話ボックスに入りました。当時は携帯電話がありませんでしたので。そして、電話付き自動車に乗れないくらいの収入なのでしょう。ターゲットの国民ではよくある話ですが。
何やら会話めいたものを「沈没船」がしている一方で、ターゲットは近くでスケボー少年たちに交じって宙返りに挑戦しております。2~3度転んで、きっとイェローストーンの間欠泉がいつもより多めに噴出したかもしれません。ようやく一回成功したところで、またターゲットは「沈没船」が電話ボックスから出て来て、そこに合流しました。
片方は楽しげに、片方は重々しく歩くところを追いながら、我々はあることに気付きました。
「やあ! どこに行くんだい?」
「なんだか楽しそうだね」
「久しぶり! 元気してた?」
「また一緒にロケに行こうじゃないか」
この街では、随分ターゲットに声をかける一般人が多いものだと。まるで、シティの金融街での貴方様のようでございますね。
もちろん、そこでの貴方様と同じく、本当の名前は誰も言わないのです。言わないというより、覚えられないというのが正しかったですね。
さて、何度目かの間食を歩きながらターゲットが終わる頃に、二人はとあるビルの前に辿りつきました。やはり、企業名は伏せさせていただきます。貴方様の元にある出資先とも関連がなくもないですからね。
我々はその出資先の社員を装って、続きました。何しろ少々の細工や操作はお手の物です。それで報酬をもらっているわけですから、陛下と貴方様のためにもそれなりの仕事を果たさなければ。
彼らのエレベーターが向かった部屋は、階数表示ボタンや案内図を見ずともわかりました。
そのことの前提として、ターゲットは、案外、盗聴器等の情報機器には強い方でして、今までも任務遂行できないことも多々ありましたが、このようなケースですとターゲットよりも、ターゲットと行動を共にする対象にしかける方が成功率が高いのということを、貴方様もご存じでしょう。
その通り。
我々は「沈没船」の服に音声も画像も拾える小型の機器をつけることにスタンドで成功していたのです。
方法は……それは業界の秘密でして。
代わりに、そこで得られた内容についてお話させていただきましょう。
まったくもって前置きが長かったのは、意外と猫舌の貴方様の紅茶を適温に冷めさせるためですからご容赦ください。
「で、どうなったのですか?」
『どうもこうも、その沈没船は映画監督でな。いいラストシーンがあったんだけど、予算の都合で削除されることになる会議だったんだ』
「ふむふむ」
『ひょっこりついて行ったあいつが、あのシーンにNOとは言わせないんだぞ、と手元からコルトガバメント……』
「ええっ、拳銃?!」
『の形をしたチョコバーを取り出した』
どうして、あっちではそういう妙なビジュアルの食べ物を作りだすのだろうと、粗末にするなと正座させてポコポコ説教したい気分に襲われながら、日本はGペンを淀みなく動かした。
「それは……何というかあの人らしいというか」
『で、結局、俺の部下が色々処理したら、その監督が拳銃で会社の重役どもを脅した、という話に脚色されてしまったというわけだ』
「それもどうなんでしょう」
『べ、別にあいつを守ろうってわけじゃないからな。うちの情報員が優秀だって見せつけるためなんだからなっ!』
秘密機関のはずだったのに、いつの間におおっぴらに職員募集をする彼の情報局らしく、そんなくだらない任務でも果たすものですね、という言葉を日本は、羽二重餅に包むことにした。
まあ、ジョークの好きなのは国民も共通なのだろう。
それに。
「00何とかさんも、たまにはそういう平和な仕事をしてもいいかもしれませんね」
『言っとくが、7番と違って映画に出すつもりはないからな。あいつは、女好きで過激過ぎる』
「実在してるんですか?!」
『……さあ、どうかな』
浮彫のジャスパーウェアより立体感のつかめない声は、スクリーントーンを削る日本のカッターを乱れさせて、少しヒロインの表情が含んだ笑顔になった。
名作には、偶然が欠かせない。
日本のその同人誌が、いつもより大評判だった、という次回予告は、また別のスクリーンにて。
fin
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