随分ゴキゲンだね、とアメリカが言った。
ああ、確かに御機嫌だ。待ち合わせ場所では、上手いミュージシャンの生歌を聴けたし、アメリカは五分しか遅れなかったし、ブレイクファースト用に案内された立ち食いのホットドッグ屋はニューヨーカーたちが朝から列を作っていたので外れではないだろうし、天気はいいし、雰囲気もいい。
先に歩きながら我慢できずに噛り付いて、マスタードがついてしまったアメリカの頬でさえも、手袋でぬぐってやりたくなるくらいには御機嫌だ。さっきのメロディで鼻歌も鳴らしてしまうくらいには御機嫌だ。アメリカは懐かしい曲だと言った。失敬な。こんなの懐かしいのうちに入らないだろう。
ジョギングをする老人たちの集団とすれ違えば、ローラーブレードを履いたビジネスマンがナップザックを背負って疾走している。
アメリカが気に入っているなかなか死なないハゲ刑事が、この公園でタクシーのカーチェイスを繰り広げる映画のDVDを借りないかとか、それを後でこいつのフラットで見ないかと誘われて、内容を大して聞きもしないで、いいぞいいぞと俺はうなづいてしまう。
何せ9月は何かと忙しかったアメリカと、ようやく月が代わって久しぶりに会えたわけだ。嬉しくないわけがない。
一度破綻したが最近営業を再開した名門ホテルは、この忙しない街にしては珍しく、俺でも快適だと思える空間を作り出してくれる部屋を用意してくれたし、そこから朝の散歩をしがてらうろうろ歩き、早めに待ち合わせ場所についた。ブランチを公園で取ろうという、こいつにしてはまともな提案をされたからだ。
保温ポットに秘蔵のクインメリーで出した紅茶を入れて、もちろんアメリカ用にダイエットシュガーをたくさん持ってきてやっている。そんな人工甘味料なんて肥溜めの隙間埋めくらいにしかならないが、アメリカのために用意すると思えば、クレジットカードの紐も緩むというもんだ。体調が最近悪いアメリカは、その反動かジャンクフードの消費量が増えている。俺としては心配だ。
この混沌が過ぎる都市の中では、秋が一番マシだと思う。商店街は、オレンジと黒のカラーをベースにしたキッチュな雑貨や菓子やコスプレ用品で溢れるし、楡や桜の紅葉もきっつい空気を緩和してくれる気がする。
草原の広場でレジャーシートを引いた俺たちは、そこにしゃがんで空を見ながら、ほかほかのホットドッグにかぶりつき、仕事のことや共通の知り合いらの下らない話や、上司部下のもろもろなんかについてだらだらしゃべる。
家族連れやカップルなんかも似たようなことをしていて、横になっていたり、チェスをしていたり、エアロビをやっていたりもする。仰々しく声を張り上げているのは、明日のブロードウェーを夢見る連中か、どちらの党が勝つか大して変わらないだろうことを知らない奴らか。まあ、俺にはあまり関係がない。
公園内で自生しているリスがちょろちょろ走った。アメリカはもうそういった動物を目で追うことはない。集中すればコミュニケーションが取れるらしいが、それはとても疲れるそうだ。
話がつきてきた頃になると、アメリカはほとんど中毒になっている携帯音楽プレイヤーを耳に当ててそわそわし始めた。視線を追うと小さなバスケコートが見える。地元の青年たちが3対3のゲームをしていた。
本を取り出し、俺は独りで読みたくなったから、ちょっとどっか行ってろと言ってやると、にこにこと子どもみたいな顔をした。こういうのに俺は弱い。ものすごく弱い。
おまけに邪魔になるからと眼鏡まで預けられてしまった。眼鏡と呼ぶとアメリカは頬を膨らますので、テキサスとここは称そうか。テキサスを取った顔は、やっぱりますます子どもの頃みたいで。でも、テキサスそのものも、止め具を弄んでしまいたくなった。
あれだけ食っているのに、たまにするダイエットが成功する理由が、こいつの動きを見るとよくわかる。イヤホンをつけたまま、よくあれだけ動けるものだ。
特別速いわけじゃない。特別上手いわけじゃない。ただ、当たり負けしないのだ。よってポジション取りがものすごく有利になる。対戦していた青年たちには、アメリカより背の高い白色人種も黒色人種もヒスパニックもいたけれど、3対3で必要なのはゴール下の強さだ。極端に低い位置での弾きかねないようなドリブルに、踏みしめたジャンプでリングに叩きつける。歓声。肘を当て合っていた。きっと、三文字か四文字くらいの簡単な単語で褒められているんだろう。
度の入っていないテキサスを伊達にかけながら眺めるどころか、その視界を目で舐めた。手首のスナップのばねまで見える。女神の名を取ったスニーカーがピボットの方向転換を、訓練された戦車のようにこなすのも見える。SHOT!!
アメリカのシュートは直線的で、本当に砲撃のようだった。
30分ほどしてアメリカは帰って来た。ほくほくとチョコレートバーをたくさん抱えて。どうやら賭けに勝ったらしい。いや、俺はどうやらどころかばっちり勝ったところを知っている。
日本からうちに帰化した作家のベストセラーは、ほんの数ページしか進まなかった。帰りの飛行機で読むか。
テキサスを返してくれよ
どうだ
似合わないね
そうかな
キスするのに邪魔だ
お前はいいのかよ
だって、これがあっても君なら上手くできるだろう
それは否定はしないので、俺は大人しくテキサスを外された。ついでのようにキスされた。
舌先だけ合わせる小動物のようなキスだ。アメリカと数ヶ月ぶりにするキスとしては、なかなかに相応しいものである。
唇が離れた後、アメリカはチョコバーの封を開け、俺の隣に座るとかじり始めた。
お前は乳離れをしていない口淋しい子どもかよ
これでもないと、がまんできないよ。だって、君、今日はいつもよりずっとやさしいし、平和的だし、まるで……
まるで?
アメリカの耳からイヤホンが落ちた。身じろぎしたのだ。
うちからこいつの家に行った夢想家の歌手のラブソングが流れた。いつもならもっと過激なのを聞いているアメリカにしては珍しい。
俺たちはその歌詞を交代で耳元で呟いた。それで十分だった。
プライベートでも会うようになって数十年、キスするようになって数年、その先は……俺は大丈夫だが、ここは黙っておこう。別にアメリカのためじゃない。俺は情報を出し惜しみするタイプであるためだ。
一つだけ言えるのは、言葉にお互い出したのは、これが初めてだと言うこと。
特別な日でもなく、特別なことをしているわけでもなく、こんな何気ないところから、生まれるものもある。
最初に待ち合わせた場所に出たら、もうそこには誰もいなくて、花束がいくつか置かれていた。
「ああ、もう帰ったのかな」
「誰が」
「お前が来る前に歌ってた奴がいた。ほら、俺が朝、鼻歌してたの」
「図太い奴だな。メモリアルになってるここで代表曲を歌うなんて。まあ、そういう無謀なとこは本人と似てたかもしれないな。当時の上司はいきり立ってたけど、曲は嫌いじゃなかったよ俺は」
「そうだな、相変わらず夢見がちな歌だった」
だが、今日、ほんの少しご機嫌になりやすかったのも、言葉に俺たちが出せたのも、夢見がちな歌手の曲で。もう既に二十年ほど前にすぐそこで射殺されたありがちな名前の男が、世界を変えてしまったのだ。
もし、朝に曲を聴いてなかったら、つまらない喧嘩をして、今とは、違う未来が続こうとしていたかもしれない。
想像してごらん、とはよく言ったもんだ。長年生きていても、想像の中でしかなかったものが現実に登場することも多い。今の俺たちの関係も、百年前なら夢物語だった。
まったく、そうそう都合よく「見える」聞き手なんて、この街にはいないだろうに。歌手はそれでも唄い続けるのだろうか。
いいな、それ。情感を残せる気骨ある奴は嫌いじゃない。たまにはアビーロードやペニーレインへ里帰りに来いよ。
さくさく落ち葉を踏みながら、俺は手袋を外してアメリカの手に触れた。中指の節の辺りだ。
アメリカは表情を変えずに口笛を吹きながら、でも、俺とは目を合わせず、ほんの少し俺の爪の先を撫でたかと思うと数本まとめてくるんだ。掌同士でやがて触れる。握る。若いだけに体温は俺より高い。
さっきの家に来てくれるって話、このまま連れてっていいかい。
体温が高いのは、どうやら年齢だけの問題ではないようだ。やっぱり目は合わせないけれど、耳の辺りが濃いピンクになっている。バスケに興じた直後よりずっと濃い色で。
返事はしなかった。俺の無言はアメリカなら肯定と捉えるから、それをいいことに、そのまま、二人で一つずつはめたイヤホンで曲を聞きながら、一歩ずつ先に足を進めた。
FIN
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