やろうと思えばできるし、ある意味、貴族的な手段なので自分の主義とも一致しなくもないのだが、そういうのやるのはどちらかと言えば海の向こうの自称ヒーローなわけで、まさかこの俺がハリウッドラブコメの二枚目のようなことをするのは、ああいや、でも、迷っている姿を見たらクレジットカードを出したくなるわけで、いやいや、そういえばうちにだって有名ラブコメ作品を数多く出す映画会社もあるわけだからアリかもしれないが、ってあんまり関係ねーじゃん、おっ、トレンチに行ったか、そういえば昔俺もよく着ていた、さすがよくわかってる、華奢な身体をダンディに見せるには一番だよなぁ、試着してくれないかなぁ、ていうか試着しろ、脱ぐ瞬間にコート着用中とはうってかわって細身が出てくるのがいいんじゃないか、ってそんなことより、「この店にあるもの全部もらおう」ってやるなら早くしないとグレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国!!
「おや、偶然ですね」
チェックの裏地が美しいダッフルとトレンチと二種類のコートを抱えた日本は、イギリスの目の前に立っていた。元々気配を隠すのが上手いため、イギリスにとって不意打ちと感じたのは言うまでもない。
キュートな立体感のある紺のダッフルに、伝統的だがスタイリッシュなベージュのトレンチ。どっちも捨てがたいという夢想にまたもや突入しそうなイギリスを引きとどめたのは、日本の隣から現れた大男だった。
「日本」
どうやらイギリスは完全にフォーカスを本田に絞っていたらしく、こんなに目立つ男であるのにまったく視界に入っていなかった。
オールバックを撫で付けた長身でモデルでもできそうな外見は、こういうファッション業界では毛色が珍しいタイプだからか、女性店員の中には熱い視線を飛ばしている者もいる。
かつて自国の軍服を手掛けた、名こそ知られずとも品質は特級のスーツに身を包んでいる。デザイン性という意味では、イギリスやフランスやイタリアに分があるが、コストパフォーマンスという点ではドイツや日本の土壇場だ。
こちとら、そんな無骨でごっつい身体に似合わない紳士的なブランドだ。帰れクラウツ!と言いたいところだが、日本の前でそんなことはできない。
友だちであるとは聞いている。日本の買い物に付き合っている、というあたりなのだろう。
買おうとしているコートはどう見ても細身の男性向けのサイズだった。まかり間違っても、でっかいジャガイモ男には入らない。
「色はそれでいいのか。ガイドブックに載ってた型は違っていたぞ」
注文をつけるようなファッションセンスの持ち主ではないだろ!
イギリスのヤンキーメーターが瞬時に上昇した。沸点まであと少し。
「流行を追う必要はありませんよ」
「だがしかし……」
凛々しい声のやんわりとした正論に、音を立ててヤンキーメーターが下がった。反比例して紳士ゲージがたまっていく。1MYG、10MYG……MYGは紳士的な何かの単位で、一本が1MYGだ。
ここは紳士的に、紳士的に、と脳内にいる美しき自然が生み出した友人たちとブリ天が囁く。
補足して置くが、海賊紳士の脳内はとても忙しい。日本の背景に季節の草花をイメージ映像として脚色するくらい忙しい。クリスマス仕様で、スノードロップが咲き誇る庭で、微笑みながら細い指でアーサー手づから入れた最高級のファーストフラッシュが湯気を立てるジャスパーウェアのティーカップを持ち、キスする形の絞られた唇が、冷まそうと吐息をかける妄想劇場終幕までコンマ2秒。
「ぐっ、偶然だなぁ」
フルスペックを愛の劇場のコマ送り再生にまわして忙しいために言語中枢までまわすエネルギーはなかった。
「ふふふ、アメリカさんでなくあなたでよかったですよ。彼だったら『この店にあるもの全部もらおう』ってやってそうですからね。まったく、ラブコメ映画じゃないんだから、そんな無駄なことしなくてもいいのに」
うわぁ、俺セーフ!!
もうすこしで好感度が下がるところでした。
日本からもらったゲーム風に言えばそういうところだろうか。イギリスはハマることはなかったが、日本に似たセミロングの髪形をしたサブヒロインにドギマギしたことは言うまでもない。克服が困難だったそのキャラのために数十時間を費やしたことも言うまでもない。
むしろ、そういうキャラが居るソフトをくれた時点で気があるんじゃないかと邪推してしまうのがイギリスという存在であった。残念ながら、そのゲームはヒロイン百人という代物であったため、邪推を否定してくれる友人が彼には居なかったというのは不幸なことであったけれど。
「吟味した結果だが、やはり両方がいいと思う」
「そうですか。ドイツさんがそうおっしゃるなら」
「では、会計してこよう」
「ちょぉ待ったぁ!!」
日本も、二着のコートを受け取るドイツも、振り返った。
「……お二人さんは、数千ポンドもするコートを贈ったりする仲なんでしょうか」
なぜに敬語かは、堅苦しい言葉を使うことで敢えて感情の暴発を防いだイギリスなりの努力だということを理解して欲しい。
日本とドイツは、困ったように顔を見合わせた。
霜が下り始めた街は、道行く人も帽子や耳当てを着け始めていて、紅茶やアルコールの風味がする息を白く浮かせている。さいわいに今は降っていないが、日が落ちて来たら雨も降りそうだとアーサーは思った。
出て来たブランド店も、その隣のアクセサリーショップもモダンなディスプレーが冬のセールを宣伝していた。今年の流行は自然色のせいか例年より落ち着いているが、それでも年末の商戦は活気づく。
大きな紙袋を軽々と持つ男が、ピカデリーサーカスのテディベアショップに向かっている背中を見る。その図体でテディベアかと突っ込みたくなるが、それも多分、土産なのだろう。
「数千ポンドもするコート二着は、確かに普通のお土産じゃないですね。早めのクリスマスプレゼントかもしれません」
わたくし、少しばかり服越しである程度体型がわかりますので、こういうの得意なのですよ。
やわらかそうな指を口元にやって、日本は笑いながら説明を始めた。彼もブランドの紙袋を手から下げていた。ついでに自分もちょっと買い物をしたのだろう。
やっぱりイギリスは、会計を進んでやることはできなかった。
シティの株価や為替の動向を確認した帰りだった日本が、石畳の街に合う革靴をきちんと履いているところに目が行く。どこかの誰かが履く安っぽいスニーカーとは大違いだ。
もちろん、どうして日本にそんな能力があるかはまったく気に留めていない。日本は日本でロンドンの街に目を細めている。彼曰くずっとユーロ高で仕事があれど買い物をするのは久しぶりだったらしい。
ロンドン、ドバイ、トウキョウ、ニューヨーク。ぐるぐる日付変更線と共に毎日まわる取引場は、自分たちの体調を見る場所で、さながら自室の休息とジムとカウンセラーと病院を繰り返すみたいに。
だが、その中で交差し合う縁もある。
「赤くないんですね」
広告を表示した二階建てバスが通り過ぎていく。後には黒塗りのタクシーが続いていた。カラフルな最新型のガイドブックをめくっていた。
「ほっ、他に行きたいところは」
「え」
「勘違いするなよ。他国を接待するのは俺にとっても利につながるからな」
「では、お言葉に甘えて……えーとあのデパートと、コヴェントガーデンのセレクトショップと、ノッティングヒルの本屋と、キングスロードのパンクブランドと、ここの文房具と、ここの石鹸と、ここの時計と、ここの……」
「キャブ、こっちだ!」
屋根の高いタクシーを止め、行き先を告げた。かなりここから離れているので稼げる客とばかりに運転手が愛想笑いする。
手動のドアを開け、先に日本を押し込んだ。後から入り、腰を落ち着ける。
「イギリスさん?」
「……うちから電話で全部店に注文するのが一番早い」
腕組みするのは、気持ちを表に出さないように構える証拠。
さながらスモッグか霧のようにつかめない、捕まらない男である。本人が捕まりたいと望む望まざるに関わらず。
「言っておくけど、俺のためだからな! 色々まわる手間よりそれがいいっていう俺のためだから!」
日本の紙袋が、車がロータリーを曲がるのといっしょに、ゆらりと揺れた。
策略家の紳士があえて今日でなく明日に注文して、お詫びにと、蚤の市とコンサートの約束を取り付けられるかどうか、結果はこれからかける電話にかかっているので、日本以上に心拍数が上昇していた。
fin
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