スペインの寝室は、窓が大きい。東側にも同じ窓がたくさんあって、赤紫のけぶる日差しが、俺の目に入った。
重いぞ、さみぃと思って、シーツの中に潜る。
だけど、素肌同士が触れた先は外より冷たかった。抵抗なく自分の力で持ち上がった腕に驚いて、揺さぶって触って撫でて最後に殴って蹴って、喚いて喚いて喚いても反応がなかった。
慌てて電話に走ったが、どこにも通じることはなかった。発信音も鳴っていない。
朝晩問わず、何日何週間何カ月単位で地中海も干上がりそうなほど、泣き暮らした後、腹が減った。
久しぶりに自分で飯を作った。一人分を作るのが、ひどく慣れなかったことを今でも覚えている。
何かが起こることは知っていた。
でも、起こった後どう過ごすか、俺には考える気も起きなかった。俺はその場を離れることができなくなった。
人は、意識不明状態になった人間を植物に例える。そんな風に表現するのは、何だかちぐはぐな気がするが、人間じゃない、どちらかと言うと大地に近い俺たちの身体から、その内、トマトの苗でも生えてくるんじゃないかって最近は思う。
スペインの場合、間抜けに耳や鼻からトマトをはやしているのを想像して、こっけいであると同時に、活動をそんな形でもいいから確認したい自分に気付いた。
相当、参ってる。
そもそも、最近ってどのくらいだろうか。そろそろ起きたっていい頃だろ。いい加減、シエスタにも飽きて欲しい。
ローマじいちゃんなら、とっくに世界中に巨大な水道を張り巡らしているだろうってくらいの時間は流れている。
俺を害する存在はどこにもいない代わりに、俺は庇護者を失った。
目がしらを舐めたり、耳をなぞったり、鼻をこすったり、手を握ったり、頬を当てたり、臍を撫でたり、背中を掴んだり、キスをしたり。
もうガキじゃねーのに、何でまた俺を置いてけぼりにするんだというのだ、この男は。腹をぼすぼす叩いても、反応はやはりなし。そのうち、俺は疲れてシエスタしてしまう。
この男が植物だったら、俺はヤドリギになって絡みついてくっついていられるのに、夢見る瞬間はほんの少しで、夢の中でもスペインはなかなか現れてくれない。表れてしまえば、くだらないことをしゃべったり、素直に色々な言えなかったことも言えるのに。
風呂に入れる必要はないけれど、湯の張った洗面器にタオルを浸して、身体を拭う。果汁を口移しで流し込む。
髪や爪が伸びていたら切っていた違いない。スペインは俺の髪や爪をよく切ってくれたが、俺が彼にそうしたことは一度もなかった。そのことばかりが悔やまれる。
電気のない時代を経て来た身としては、その頃の生活に戻るのは簡単だった。
水を引いて、残された苗を植えて、雨を待って、草を除いて、収穫を待って、土に枯葉や生ごみから作った肥料をまいて、風に折れないように支えを作って、その繰り返し繰り返し。
先進的な兵器は、人間以外には害をなさなかったようで、俺の周囲の自然は循環を繰り返していた。
夏になれば小麦が穂を張り、以前からあった水車小屋で少しずつ潰して粉を作り、塩は山岩から取ってきて、水と混ぜてパンを焼く。酵母は、こうなる前から手作りで蓄えていた株があったから、温度管理さえ気を使えば、変わらない。
牛からは乳が湧いたし、何頭か生まれては、いくつかは俺の保存食になった。乳からはバターやチーズも作った。豚や鳥も然りだ。
酒も作った。どんなプレミアのつく高級品も、いい加減ただの酢になっていたし、少量ずつ作っては飲み終わった瓶や樽に入れた。一人用なら、容器の摩耗もほとんどない。燃料は近くの林に取りに行っても、次の年には、また新しく生えていた。一人の伐採なんてたかが知れている。
山に入れば、トリュフや果実やハチミツも取れたし、オリーブなんてその辺になっていた。
半径数百メートル単位の円を作ってしまえば、大ごちそうを作るのは簡単だった。だけど、俺はどっかのイモ兄貴と違って、一人で楽しいタイプじゃない。
それでも、包丁で自分を切らない代わりに野菜や果物に刃を立てた。汁を垂らす食材を見ているとほっとした。ああ、生きているものがここにいるのだと。
実のところ、自分を切ったことは何度かある。ひどく切りつけても、痛いだけで血はほとんど出なかった。こういうときに、自分の性質を恨まないわけがない。その他の自傷手段も痛いばかりで、全然目的は果たせなかった。毒を飲んでも、頸を絞めても、苦しいだけ。べっそべそに泣きながら、諦めるしかなかった。
働く以外することもなくなってしまったというわけで、皮肉なものだ。あれほどスペインに働けと言われていた時は、指一つ動かさなかった俺が、多分、今や世界で一番働いている。
あまのじゃくなロマーノ。親分の言うことを何一つ聞かない悪い子ロマーノ。仲間はずれの裏切り者。
俺が働き者で正直者な真面目な国家だったら、こんな世界にはならなかったなんて言うつもりはないけれど、少なくともスペインと同じように、眠りにつくことはできただろうに。
ヴェネチアーノとでなく俺は最後にスペインを選んだから、俺はあいつがどうなったか正確には知らない。世界中の誰でもなくスペインを選んだ。自分の国にいることを選ばなかった。それも、多分、領地への裏切りなのだろう。
それは、新作でオレガノの配合を変えてみたピザを、見せつけるように食べながら、窓を開けたときだった。換気をしょっちゅうしないと、俺の周りがよどんでいく気がしていたから、定期的にそんなことをしていた。
茂みが鳴った。揺れた。結構、デカいかもしれない。
野良猪か、野良牛か何かだろう、ぶつかったら痛いだろうな、と涙目になりながら、シーツの中に潜った。
「ロケットパーンチ!」
上から圧し掛かられた。ちぎぃー!そこは押さえつけるな、変になる!
絡まらないように起き上がると、一回り小さな少年がばたばたモンスターを倒すですよ、とうごめいていた。
生き物だ。会話のできる相手だ。
会話をしないと。
だけど、喉を押さえて、呼吸を整えて、やっぱり涙目になっていたと思う。うれし涙じゃなくて、会話が必要だという緊迫感や、何を話していいのかと焦る混乱から湧いてきた。
発作のように息の音だけが、喉を伝う。声帯の使い方はどうだったか。声を出すときって、どんな形に唇を作るのか。首の形は何が正しかったのか。つばを呑みこむタイミングは。息をやめる方法は。
一通り涙目になるまでむせた後に、俺は声を出せなくなったんだと思った。
怖かった。
スペインが褒めてくれた俺の数少ない、言ってて悲しくなるが、そんな俺の美点は声だった。高らかな讃美歌が得意な弟とは対照的に、潮や飢饉にも負けない強い声やわ、と評されて、昔は航海から帰るたびに、俺に歌うことをせがんだものだ。連れていくことはできないから、せめて波間に眠るときは、子守唄代わりに思いだすから、と。
この声がなくなってしまったら、スペインはいつまでも戻ってこないだろう。特に根拠がないけど、ひたすら怖かった。
ボ、ヴォ、ヴォワ……
泣き声以来、出すことのなかった声は、泣き声で久しぶりに始まった。大音量で続いていく。
いい歳して格好悪い。
きょとんと俺を発見した子どもは、やがてつられたのか泣き始めた。ビエエエエ、ヴォワアアア、ビエエエエン、ヴォワァアアアアア。
そして、泣き疲れた後というのは、腹が減るものだ。
子どもの腹の音で俺はようやく我に返り、ピザ食うかと聞いた。
大ごちそうを作るのは簡単だった。すんげーうまいですよと笑う子どもは、何て強いんだろうかと心の底から眩しかった。
意外に機械に強いガキは、冷蔵庫でジェラートを作ることを引き換えに、劣化した風力発電を修理して、俺の家に電気を引いた。通信機材が使えるようになった。録画を再生したり、音楽も聞けるようになった。
大ごちそうを作ることは、ますます簡単になった。
いくらでも、いつでも準備がしてある。
スペインが起きてすぐ食えるように。待っていたことをわかってくれるように。
キスや接触をしなくても、頭を撫でてくれなくても、食べてくれなくたって、笑いさえ、声も出さなくてもいい。ただ、目を開けて、瞬きをして、俺の声を聞いて。ただ、それだけを。
それだけ、を。
スペインの寝室は、窓が大きい。西側にも同じ窓がたくさんあって、茜色の照りが、俺の髪から背中に入って行く。
少しだけ、抱きしめた身体が温かくなるかもしれないと錯覚に包まれて、俺は太陽を眺めながら目を開けた。
今日のシエスタでも、スペインとは話せなかった。それでも、俺は起きたぞとか、畑に行ってくるぞとか、会話をしてみる。よくよく考えてみれば、鈍い奴だ。どんなに態度で示しても、多少の言葉を出しても、全然わかってくれない親分だった。
それなら、気長にアプローチしながら待つしかないだろう。待つのは、多分、そんなに苦手な方じゃない。
「ようスペイン。明日もトマトがたくさん取れそうだぞ、コノヤロー」
舟を漕ぐ先に、この声が届くなら、いくらでも。いくらでも。
fin
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