探偵事務所に出会い系サイトの運営事務所、テレフォンクラブ、結婚相談所にサラ金業務、不動産売買など、静雄の所属する「総合商社」は、ビルこそ東京都市部によくある小ぶりな雑居ビルではあるが、そこそこのまとまりがある。
例えば、テレクラにハマった客はサラ金に手を出すし、出会い系サイトで出会った誰それを探して欲しいと探偵に依頼をする。
結婚相談所で話がまとめれば、新居には不動産会社が自動的に紹介される。
そんなゆるやかなつながりは、静雄たちも同様で、主には出会い系サイトの運営事務所所属で、集金業務を行っている彼らではあるが、サラ金やテレクラの債務者から取り立てることもあるし、探偵事務所からボディガードのような依頼や、不動産売買からは不法占拠者の追い払い、結婚相談所からはサクラもといモデル代わりなんてのもやることがある。
特に最後の仕事は、しばらく会社中の人間から、顔を合わせるたびに微笑ましい視線を向けられて色々気まずかった。
サングラスを外し、髪を限りなく黒に近い茶色に一時的に染め、ましてやデジタル加工を施された静雄の写真を見て、当の池袋の……と気づく人間は少なくとも結婚相談所に来るような客にはなく、パンフレットはそこそこ評判だった。
まあ、客寄せパンダは俺ってーより……
ウェディングドレスを着ているときと何一つ表情の変わらない向かい側のスーツ姿の後輩を見る。
『疑問が支配します。先輩は、如何なる理由を持って、私の顔を観察するのですか。送信します』
「ねみぃんだよ。誰かの眠そうな顔を見たら少しは収まるかもと思ったけど、お前全然眠そうじゃねーし。どうぞ」
『睡眠欲は、食欲並びに性欲と同じく、ある程度は自己調節可能です。不可であるのは、幼少のみぎりである証です。送信します』
「なるほど。どうぞ」
<おい、静雄。そこ納得するところかよ。どうぞ>
駅をはさんだ西側に立つ、芸術劇場の大ホール。まさかそんなところに、バーテン服とノースリーブの自由奔放な格好で現れるわけにもいかず、静雄とヴァローナは静雄は舞台に向かって左の下手、ヴァローナは反対側である上手バルコニー席に、トランシーバー機能のイヤホンマイクをつけながら座っていた。
トムは両方の動きがわかるように客席中央付近だ。
舞台では、ショパンやらリストやらモーツァルトやらのピアノ曲を茜と同じピアノ教室の子どもたちが弾いているのだが、なぜそんなところにいるのかと言うと、話は少しさかのぼる。
「うちの嬢ちゃんのピアノの発表会の警護をしてもらいてぇんだ」
「は?」
「いやー、うちの若い衆に頼もうと思ったら、お嬢がお前んところがいいってね。で、探偵事務所から話を通してもらった」
応接間のソファに座るは杖をついたいかにもな裏稼業の男。静雄もヴァローナもお互い面識はある。特にヴァローナは色々懲りている相手なので、トムの後ろに隠れて、だが目だけ出して隙を疑っている。
さながら、威嚇するリスか何かを見るかのように、赤林は彼女を一瞥すると「嫌われちまったなあ。おいちゃん、どうも女盛りの子からの評判が悪くてねえ」と言い、受付嬢に出されたほうじ茶を飲んだ。
「静雄、お前が嫌なら断っても……」
「ちゃんと報酬貰えるんなら、やりますよ俺。あんたは」
「恐怖を克服してこその試練です。挑みます」
「あの、この二人に任せるてことは、多少のトラブルは……」
「お嬢さえ無事なら何とかなりますよ。それにね」
こっそり、赤林がトムに耳を寄せた。
静雄は、客人と目を合わせないヴァローナに、びびってんなとからかっているのに夢中なので知る由もなかったが。
「あのね。お嬢の知らない組員だってうちにはいるんだよ。そうした連中をちょいちょいっと駆り出して、ね? わかるだろ」
「なるほど」
しかし、池袋一と言われるヤバいところが、子どもの発表会のお守とはねぇ。
田中トムは思ったが、当然口には出さなかった。彼はそのあたりの判断は池袋でもトップクラスに的確な男である。
シューベルトのソナタが終わり、どうしてピアノの発表会にティアラを被る必要があるのだろうかという疑問について考察していたヴァローナが一台の光を捉えた。
「先輩。送信します」
『何だ。どうぞ』
「鍵盤楽器の下部より、反射物質の存在が可視化されます。前回、講演が終了した女児児童の装飾具より光線が乱散されたものと推測されます。これから光学拡大双眼鏡を使用します。送信します」
ヴァローナはその仮名を反応してだかは不明だが目はいい。
≪次のプログラムは、粟楠茜さん。曲目は……≫
オペラグラスを持ち、あやしい場所に目をやり、形状・位置より一つの結論に達した。
「報告します。小型の機器と推測されます。内容は把握しかねますが、爆発物の可能性は否定できません。送信します」
<お、おい!>
トムは、ヴァローナが見えない爆弾の導火線どころか、爆弾そのものに点火したことも、止める暇がないことに気付いた。
「爆弾だとぉおおおおおお!!」
トランシーバごしでなくても、静雄の叫びは、茜が弾き始めたプレリュードを遮った。
大音量はホールの中央。そうまさに中央だ。シャンデリアが煌々と輝くほんの数メートル下。それはすなわち、バルコニー席から数十メートル離れた空中だ。
日本でもトップクラスの音響を誇るホールなだけに、よく声も届く。
空いた座席のへりに、こともなく着地した静雄は、跳躍に近い大きな歩幅でピアノの前に立つと、きょとんと座っている茜に逃げろと言葉をかけるのも惜しいかのように、ピアノを持ちあげると、そこへタイミング良く、着地してきたヴァローナが床板以外を横蹴りでひっぺ返した。
愛する我が子の発表を楽しみにしていたハンディカメラ片手の親たちは、慌てて出入り口に殺到する。
静雄は、機械を腹に抱えてその場にうつ伏せにダイブし、ヴァローナは逃げ遅れた茜をかばうように立った。
破壊音。
その後は、寝ることを忘れてしまいそうな静けさ。
いわゆる、予想よりも破壊音は小さかったことによる驚きと呆れの混ざっている状態である。
数十秒たって、座席の下から赤林が顔を出した。
「わりぃ、わりぃ。おいちゃん。あんたたちに、カメラの位置、教えるの忘れてた」
家族たるもの愛する我が子の晴れ姿を間近で見たいのは、誰しもが同じである。
例えば茜の父の幹彌などはその筆頭だろう。しかし、まさかそんな場所にビデオカメラを持っていくこともできず、思いついた方法は、カメラを間近に置くことであった。
そして、悲しいかな、彼は身内のカメラ撮影の腕をあまり信用していなかったのである。
まあ、これは彼に限ったことではない。運動会でうっかり全然違う子の撮影をしてしまったというよくあるオチを、巨大な組織のトップに近い人物なりの発想として警戒しただけのことである。
せっかくの舞台を、木片と鉄線のごみクズで汚してしまった二人には、しかし、赤林の連絡ミスということで型が着き、特におとがめはなかった。
茜はむしろ、格好いい静雄と、良い蹴りを繰り出すヴァローナへ、ますます会う機会をせがむようになった。
他の子どもの保護者たちや劇場側へは、赤林のポケットマネーで、保障と弁償と、新しい発表会のプロデュースということで収まった。元々、上昇志向や高級感に弱い親たちである、六本木のより値段の高いホールを借りることで納得してもらった。ピアノも新しい物を買った。もちろん、壊したものより品のよいものである。
事務所のソファで膝を抱えるヴァローナの隣に静雄は座った。
「落ち込むんじゃねーよ。ぶっ壊したのは俺だし」
「爆弾で先輩が致命傷を受けるかどうか試験できなかったのは、残念無念です」
「て、落ち込む理由そっちかよ!」
「私の能力過小は、録画機を設置する可能性を探索しなかった点です。それは非常に残念無念です」
「わかってるじゃねーか。あんな、親ってもんは子どもの晴れ姿が見たいもんなの。わかる? うちの親父とお袋も最初は弟がテレビに見るたびに録画してたぜ。最近は飽きたのか、普通にワイドショーとか見てるけどよ」
「……私の元保護者もそれを希望すると決定できますか」
「そうだと思うぜ」
「把握しました」
数日後、彼女の父親は、日本語で書かれた結婚相談所のパンフレットを手にして首を傾げる羽目になり、その中の、ウェディングドレスを着た娘と隣にタキシード姿の長身の青年が写っているページにて思わず首を自ら折ってしまいそうになるほど傾けたと言う。
fin
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