旦那様の仮名はアルフレッド、奥様の仮名はアーサー。
ごく普通の二人は、ごく普通に出会い、ごく普通に恋をして、ごく普通に結婚しました。ただ、ひとつ違っていたことは……、奥様はイギリスだったのです!
奥様(イギリス)の朝は早いです。なんてったって新婚ほやほやの40年ですから! まず、庭に出てバラの害虫取りと水やり、雑草を根っこから抜きまして、剪定をして、苗木の植え替えに、接ぎ木の確認。つぼみがあれば、いつ咲きそうかと予想を立てて、咲き終わりがあれば摘み取って標本やポプリの材料に集めます。グランディフローラ、オールド、ミニチュア。ホープに、ホワイトクリスマスに、プリンセス・オブ・ウェールズ。お気に入りは旦那さまが品種名をまったく気にしないから植えられた真紅のアメリカンビューティーです。
郊外のお家は夫婦二人で住むには十分で、南風が吹く大きな庭にはプールの端に花壇を作ってもらい、奥さまはそのプールサイドでお茶をするのが何よりの楽しみでした。あら? どこからともなく香りが……。どう考えてもバラのにおいとはかけ離れた……。
「あ……」
レンジの中には、溶けかけたラップに覆われた小麦粉とバターの塊がごろんごろんと。
「おっかしーなー。日本に『レンジでカンタン☆レシピ』を教わったんだが……」
これはもはや無機物が混入された兵器です、奥様。台所っていうか家じゅう有機溶媒のにおいがします。
奥様がガーデンエプロンのまま首をかしげていると、どこからともなく盛大な目覚ましが鳴りました。寝室のドアは微動だにしません。
5分後、目覚ましの音が二倍の大きさになりました。やっぱり寝室のドアは開きません。
10分後、目覚ましの音はドアへの金属の破壊音と共に消えました。
「アメリカ!! お前目覚まし壊したの何個めだ?!一万とんで百五十七個めだぞ!!」
そう言って寝室に入って飛び上ったと思うと奥様はガーデンエプロンのまま、旦那さまの腰に急降下しました着地点は正確です。特殊部隊並に正確です。
特殊空挺部隊の起源はイギリスなんだぜ!という解説より、ここでは奥様はガーデンエプロンいっちょのままで他には何も着ていない、履いていないことの方が重要でしょうよ。奥様はエロ大使なので、家での裸率は高いです。単純に裸でどうこうするのも大好きですし、裸で日常的な……例えば電話で海の向こうのもう一つの島国へ思いっきり新婚の悩みを相談するとか、海の向こうの長年のライバルなワイン領に喧嘩を売るとかそういうことが大好きなのです。
しかし、これは正直うれしくないお誘いです。小柄な国土で人口も旦那さまの数分の一程しかないとはいえ、そこは五大国でGNPもトップクラス。
「うわぁぁぁぁぁあああああ!!起きる!!起きるよ!!!」
「大丈夫、ギリギリ外してある」
「狙えるのが嫌だ!!」
めっちゃいい笑顔の奥さまの頬に、半分青ざめてる旦那さまは、おはようのキスをして、サイドボードから愛用の眼鏡を取り出しました。
「で、どうやら日曜の俺の最初の仕事は、デリバリーでピザを注文することになりそうだね」
青ざめながらもちゃんとキスするのは、もはや習慣でお互いしてるかどうかもあまり意識にはあり
ません。何しろ新婚40年ですから☆ 台所でパジャマのままやってきた旦那様に注文してからピザが来るまでの時間、空腹にあかせて無理やり『日曜のブランチになるはずだったもの』を処理させて、その間に、テーブルセッティングのため執事用の白いエプロンに着替えた奥様は、最高級の茶葉を蒸らしながら、旦那様の傍らにあるロイヤルドルトンの隣に紋章の細工が入ったシルバーのティースプーンを添えるのです。
もちろん、エプロンの下はさっきと同様です。旦那さまは突っ込みません。もう慣れましたから。
「それにしても、どうしてここまでマイクロウェーブで炭化できるんだよ」
しかし、旦那さまも旦那さまで紅茶に青いチョコレートキャンディーをたくさん浮かせて一気に飲み込みました。似た者夫婦です。
失敗した料理を片付けるのは旦那様、壊された目覚ましを買い替えるのは奥様。結構、ちゃんと分
担できてるのです。
「さて、と」
息を吐いて、旦那様は奥様に目を合わせました。
「それ脱いでくれないか」
ちょっとエプロンを持ち上げて、上目遣いの奥様は眉毛をへの字に傾かせます。ある意味、傾国。旦那さまも40年前……いやもしかしたら400年前にこれにノックアウトされてしまったものです。
「やっぱりふりふりが良かったか?!」
「いや、何度も言うけど俺はチラリズム萌えはないんだって」
「え……、でも日本が」
奥様はエロ大使なので、そういう情報はいくらでも集めます。世界中から集めて自分のものにします。一説には、エロスを集めるついでに色々集めた成果が博物館だったり美術館だったりするそうです。眉唾ですがね。
「俺は! そのままのイギリスが好きなんだぞ」
「アメリカ……」
エロ大使の奥様は直球に弱いのです。野球大国は伸びる高速ストレート真っ向勝負が大好き。やっぱりこの夫婦、結構うまくいってるようです。
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