某サークル様が2012/5/3のSCCで提案された「桜に攫われて桜色に染まってしまった桜兄さん」ペーパーを作ってみよう、という企画に乗っからせて頂きました。
配ったペーパーよりちょいちょい修正しています。
【石に桜】
どこぞの大西洋に浮かぶ島国ほどではないが、ドイツとプロイセンの兄弟は庭仕事を得意としているし、好んでいる。主に整地や樹木の増設の配置に拘るのはプロイセンで、プランターから苗を取り出しそこから花を咲かせることが得意なのはドイツである。麗らかな四月の土曜日は、実にガーデニング日和だ。
スノードロップがその花弁を重力に逆らうかのように広げて春を告げることを皮切りに、次々と彼らの庭も彩どり豊かになっていった。昔は修道院の片隅に身を寄せ合って群生していた花株をトイレがわりにしたこともあったのに、時代は変われば変わるものだとプロイセンは、クロッカスの球根を掘り返している弟の背中を見る。スノードロップと同じく雪解けの狭間にちょっとした絨毯のように開く花は、白に黄色に紫に光り、ややもすると溶けてしまった雪以上に目に眩しい。
眩しいのは足元だけではない。小鳥がどこに留まっているかわからなくなるほど、「金の鈴」とも評されるのにふさわしくレンギョウは染められているし、木蓮はかじりつけそうなほど柔らかそうな膨らみで朝焼けをその中に閉じ込めている。
さて、俺の担当はこの枝ぶりを無事に持たせることだろうかと、庭用のハサミと、ドイツが環境環境がとうるさいので、プロイセンは手づから作ってやったハーブ数種類を煮詰めた消毒剤が入ったスプレー缶を構えた。花弁は柔らかい分、虫や病気にも弱い。ブロッコリーは、つぼみの部分を食用にしているわけだが、美味いもんな、確かに、と彼なりに納得していた。どれだけ汚れてもいい丈夫なオーバーオールと、スペインからもらった農作業用の麦わら帽子に身を包み、いざ、俺様の手にかかればお前らの殲滅など朝飯前――ふあ、ヴェスト?
ドイツは、色気のない兄を後ろから抱きかかえ、耳元で、惚けたように囁いた。
「兄さん!戻ってきたのか兄さん!こんな姿になってしまっ……いや、それでも俺の愛しい兄さんだ……」
視線の先には、ドイツの爪ほどの色と大きさの点が三分咲きとして撒かれていた。
なし崩し的に、兄さん兄さんとすがるドイツに丸一日付き合ってしまったが、いつまでも離さない腕から逃れるのに苦労した。連日あれは無理だ。俺様持たない。
シャワーを浴びながら、つむじの中までチェックしたが、プロイセンは自分の姿が変わっているとはどうやっても認識できなかった。共有しているシャンプーでなく、あえて石鹸で頭を洗った。フローラルな香りがしているなら一旦落とすべきだろう。
――桜に攫われていた間、俺がどんなに心配したことか。ああ、この髪も爪も、肌も、瞼も、吐息までも、桜色に染まってしまって……。
俺様いつの間に人体改造でもされたことになってるのか?
だが、シャワーミラーに映る自分の姿は変わらない。いつものように小鳥のように格好いいが、どう考えても桜のエッセンスは感じられなかった。
再度ドイツに捕まらないよう、家を抜け出し、不健全な寝室での空気から解放されるために、飼い犬の散歩をしながら、馴染みの肉屋や薬局や八百屋に顔を出しては挨拶をする。
「ちょっとイメチェンしてみたけど、何色に見えるか?」との問いには、少し青みをつけたんですか?とか、うーんどこをどう変えたかわからないなーという反応ばかりだった。
プロイセンはやはり安心を強めた。確信と今年最初の白アスパラを持って、自宅に帰った。
「ほらなー」
「一般人に兄さんが桜に攫われたなんて、わかるわけないだろう」
それでもドイツは鉄面皮のままだ。あーそうですか。そう来ましたか。そうですね。俺達国ですもんね。
「大体、俺が変わっていたら、こいつらだってそんなに懐かないだろう」
「皆兄さんが戻ってきたのを喜んでいるんだ」
わしゃわしゃ、首元をドイツが撫でるとベルリッツは頬を摺り寄せてきた。いや、それ生理反応だから。
プロイセンはラムレーズンをスプーンで口元に運びながら、弟の背後の窓ごしにエリカの樹木を見た。ピンク色の花びらは落ちかけているが、まだまだ華やかだ。あれと桜の違いは、育て方や大きさや種族としてのものしかプロイセンには理解できなかった。なぜ、ドイツはエリカでもアーモンドでもなく「桜に攫われた」とわざわざ言っているのだろうか。花の色はどれも同じに見えるのだけれど。
血の気のなくなった顔で、背筋を古木のように伸ばした弟はそれでも反応はない。この弟は非常に賢いが時々明後日の発想をする。しかし、問題は現実にあることに戻すべきだと、合理主義者たる左脳が高らかに宣誓する。
「おい、ヴェスト」
「何だ」
「百歩譲ってお前の愛しいお兄様がいなくなったとして、俺は誰だ」
「貴方は俺の恋人だ。桜が兄さんと取り替えてしまったんだ」
何そのメルヘン。どっかのMANGAもびっくりだ。
「昨日までの俺との暮らしは現実でないというのでも」
「相対性理論を知らないのか兄さん。現実の一瞬も、次元や環境を変えればいくらでも伸ばせる」
「つまり俺は一瞬の間に俺が連れ去られて、改造手術でも受けて戻されたとそう言いたいわけだな」
「貴方の今の美しさが改造手術ごときで作られるわけがないだろう。その常に上気したような頬、オーロラのように揺らめく瞳、そしてそこに彩を添える砂糖菓子さながらのまつ毛……! 嗚呼!」
リルケやハイネの恋愛詩も逃げ出しそうな口上の立て続けに、座ってるソファごと抱え込まれるほどの濃厚なキスをされて、せっかくのアイスクリームを落としても、もう次をねだる気持ちはわかなかった。
「ああっ、もう、これでどうだ!」
ポーズを取って、自分に携帯のレンズを向ける。この角度の俺様が一番格お好いい。
(この写真の俺様がピンク色に見えたら公式RT)
@Preussen お兄さんにはいつもピンク色に見えるけど~。特にお尻の内側とかー
@Preussen べっ別にピンク色になりたいんなら手伝ってやってもいいけどな! 言っとくが妖精たちが面白がっているだけだからな!
@Preussen くたばれイギリス!:DDDD!! そんなのスターバックスのストロベリーフラペチーノを飲めば一瞬さ!
@Preussen みーんなロシアになっちゃえば、ピンク色だねぇ!
@Preussen おのれ貴様、今はいつもと同じ下衆い姿なのを棚に上げてこれからピンクになって兄さんを篭絡させるのか兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん
@Belarus 帰ってぇええええええええええええええええ!!
「さて、ドイツ連邦共和国君。プロイ先生の第三千五百二十八回講座だが、このツイッターのレスに対してどう思う」
「公式RTが一件も行われていない」
「違ぇーよ! そこじゃねーだろ! どう見てもこいつらには、この写真の俺様はピンク色には見えてそうもないだろーがよ!」
「俺はピンク色とは言っていない。この世のものとは思えないほど麗しい桜色の髪や肌や唇になっているんだ。桜に攫われてしまったなんて、可哀想な兄さん……。だが、それでも俺は兄さんのことが……」
「可哀想なのは、てめーの頭だ」
ため息もつきたくなる。
仕方がないので、隣国に電話しまくって自宅に来てもらおうとしたが、オーストリアはこの時期は演奏に没頭していることが多いのか電話に出てくれようともしなかった。ハンガリーはその隣でうっとり聴いているだろうし、スイスとリヒテンシュタインは自分たちと同じく花の手入れに忙しいに違いない。頼みの綱のイタリアはシエスタ中なのかやっぱり電話には出なかった。
かと言って、この寄る辺ないEUの大黒柱を連れて欧州中を走り回るほどプロイセンは粗忽者ではなかった。今のドイツの状態を下手に知られたら、ギリシャ危機だけじゃなく連鎖的にあそことかあそことかあちらとかそちらとかが崩壊するに違いない。いくら直接プロイセンの体調に関係がないとは言え、これ以上ユーロが安くなるのは御免だ。
週末はどの国も暇なのか、ツイッターにはそこそこ顔が出ているが、さて、明日からをどうするか。
「……ため息まで桜の香りがするなんて、兄さん」
眉を寄せた憂い顔で、うっとりとキスを落とされても、どう反応していいかわからない。最愛の相手にロマンチックに振舞われても、同意できなければ白けるものである。今のドイツなら、プロイセンが一週間風呂に入らなかった体臭も、桜の香りだと言うに違いな――あれ、それあんまいつもと変わらなくねーか?
「愚かな奴らだ。兄さんが桜に染まったことに気づかないなんて……」
「そこ鼻で笑うところなんだ」
一気に暖かくなった空気を、窓をたくさん開けて換気しながら、ベランダに出ていくと果たしてドイツは着いて来た。昨日からずっとこの調子だ。どうしてトイレまで入ってこようとしたかはあまり考えたくない。
「なあ、ヴェスト。俺様が桜に攫われたっていつだよ」
あっという間に五分咲きまで開いた木を遠目に眺めて、手すりに頬杖をつく。確かに、桜の剪定やら管理を行なっているのはプロイセンだ。
かつて、敬愛した大王が愛した果実がために国内に植林しまくった樹木の子孫の一つであるこの木は、野生種と栽培種を合わせた性質を持ち、数こそ少ないが酸味が心地よいビロードのような艶のある実を秋につける、という意味でお気に入りだ。しかし、プロイセンにとって桜は特別な木ではない。虫がつきやすい品種なので、そうそう切ったりできない、という意味では神経を使う樹木であるし、毎年ドイツが腕によりをかけて作ってくれるキルシュクーヘンや、まれに落ちた枝を集めて乾燥させて、ドイツ特製のヴルストを燻製にすると昇天しそうなほど美味い。この時期の花ももちろん美しいが、他の木だってプロイセンにとっては大切なのだ。なのにどうして桜なのだろう。
「日本で」
プロイセンの携帯が鳴った。場違いなメタル調のメロディで。
「貴方と同じくらいの年を重ねた」
画面が変わる。ツイッターの返信を知らせる。
「桜を見てきた」
「ヴェスト」
「縦横無尽に枝を広げ、あらゆるところに花びらを散らし、誰からも嘆息されて見上げられる、そんな桜だ」
「それが俺にどういう関係があるんだよ」
「あんなに生命力溢れた木があるのなら、兄さんは最初から桜の精が宿って俺に遣わしてくれたのかもしれないと思った」
「お前、前に一瞬のうちに連れ去られたかもとか言ってたけど、今度はまた別のトンデモ理論かよ。ちょっと待てタンマ。携帯見るから」
遅いレスを謝る内容の主は、こんなに間隔が開いてしまうなんて魔が差したとしか、と前置きされて。
『先日の我が家への出張のついでに、ドイツさんとお花見をさせて頂きました。はるばるお越しいただきありがとうございます。桜の方も、長らく一本で生えているからか、私以外の国が来ると嬉しいようですね』
添付された写真は、なるほど太い幹と、あらゆる方向に枝を張らし、花も満開だ。日本はうちより温暖なので早い時期に開花したのだろう。
「そのうち、アポロンに追いかけられたダフネのように木に変わってしまうんじゃないか、戻ってしまうんじゃないか」
この弟は、自分より年かさの存在に、いろんな意味で、弱い。そして、その喩えは自分をアポロンだと言いたいのか、オラァ。お前あれの彫刻よりもどう見ても、筋肉も下半身もご立派じゃねーか!
自分の携帯と同機種で、クーヘンのストラップがぶら下がっているまったく顧みられていないドイツの携帯を、プロイセンは机の上からひっつかみ、その顔に投げつける。
「おい、支度をしろ。すぐ日本に飛ぶぜ。俺から離れたくねーんなら、とっとと休暇でもなんでももぎ取りやがれ。不抜けた態度で仕事されるよりはよっぽどそっちの方が害は少ない」
桜の野郎め……!桜の花やサクランボは女性名詞だが、今頃花も落ちている「桜の木」なら男性名詞だ。さらわれたのは俺じゃなくて、完全に弟だ。
こうなったら容赦しねーぜ。空路だとチェーンソーも重火器も持ち込めないのが残念だが、まあ、いい、エコロジストの弟の恨みを俺も買いたくはない。だが、生かしたまま苦しめる方法はいくらでもあるんだぜ……?
職務質問をされないのがおかしいほどに、畑を進む遠国の兄の方へは、よろよろと体躯を揺らしてついていく弟の方を追いかけるより、日本にとっては至難の技だった。歩幅が違うのだ。おまけに日本も花見疲れをしている。花見酒も残っている。
「ぜはぁー。待ってくださーい」
「俺はなぁ、ヴェストを誑かした桜に文句を言いてぇだけだ!」
「うちの天然記念物なんですよ、あれ! 何するつもりですか」
「言えば止めるだろ」
「止めるに決まってるじゃないですか!」
「桜に攫われて桜の精となって俺のとこに派遣された兄さん、貴方は天使か、それとも堕天使なのか……」
だめだこいつら早くなんとかしないと。日本は表情を変えずに思った。
「おお、兄にゃ早ぇだなぃ。はるばる外国さから来たんべか、見物しくっとええべ」
背負いカゴに春キャベツを乗っけた老婆が腰を曲げてゆっくりすれ違っていく。
「今年はゲェージンさが多いない」
「んだんだ。最近はやりのあーだ、ぼらんちあ、んだ」
砂や泥を蹴り飛ばすように進めば、丘を超えた眼下にそれはあった。一面の薄桃色は、プロイセンが足をすすめる度に浮いては跳ねるように散る。旋風に上昇気流に乗るものもいる。
「はぁ、今年は開花が遅かったんですが、もう流石に散りかけですね。ドイツさんと来た時は、怖いくらいに満開で。雨も降ったし、風も強かったし」
老木の佇まいは、それでも、散った花びらの反射もあって、花の跡の寂しさは感じられなかった。プロイセンたち以外にも見物客はちらほらいる。花びらで遊ぶ子どもや連れて来られた犬もいる。弁当をつつきあう家族連れの隣で、三脚からカメラを構えてはうなづく客もいた。
プロイセンは木の管理に関しては、かなりの実力者だ。これほどの枝振りを支えをほとんど使わず保持するのは、奇跡に近いことは彼の目にも明らかだった。
おまけに日本は天災も多い。幾度嵐をこの木は耐えたのだろう。
自分が生きてきた年月をプロイセンは思った。そして、その年月の間の視線を思った。
おそらくはこの、毎年のように日常の延長として愛でられることに支えられているのだ。その意味では、木が長く生きるのも、国家が永らえるのもとても似ている。宗教が単独では力を持たず、それを信じ支える人間たちによって力を持つのと同じく。ならば、奇跡や不思議を起こすのもまんざらないこともないだろう。
登っていたときは、指の関節を鳴らしていたが、その準備運動は無駄になりそうだ。
「プロイセンさん」
日本は三人がゆうに座れるゴザを敷きながら言った。
「どんな文句をおっしゃるつもりでした」
「……木に文句言っても伝わらねーだろ。それに、こいつ結構愛されてるのに、ヴェストまで欲しがるなんて贅沢もんだな」
「桜ですから」
変わったことを起こすのも、散るまでの短い暇ですよ。
日本は彼にしてはわかりやすく笑って、あちらにビールも売ってます、せっかく来たんですからお金を落としていって下さいよ、とバラックの建造物を差した。なるほど出店からは香ばしい匂いもする。
プロイセンのツイッターの「花見なう」に、散りかけでしょぼい、とのコメントがいくつも飛ばされたのはまもなくのことである。
最後の花見を、彼らはビールをたくさん飲んで、夜桜のライトアップが始まるまで堪能し、旅館にも泊まっちゃったりして、翌日にはドイツも戻り、旺盛に仕事も始めることができたのでした。
FIN
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