Pannotia

　アーサー・カークランド氏の本邸は一人暮らしにしては広大である。国個人の中でも比較的大きい方だろう。

　交友関係の狭さから、プライベートな空間である自宅に彼が招かれたことはそうそうないが、自分より大きい自宅を持っているのは話の頼りではスペインとオーストリアくらいらしい。アメリカは基本摩天楼のはざまにある散らかったフラットに住んでいるし、日本は客人が泊まるのに不自由しない程度が確保されれば十分というきらいがある。
 　国土の大小と、国の自宅の大きさは必ずしも相関しない。研究すれば結構面白いかもしれないが、現時点でのイギリスの研究対象はそんな問題ではない。要は、彼がスペースをもてあましている自邸の寝室にきわめて近い部屋に、色とりどりのエプロンが並んでいるワードローブ部屋を持っていると言う事実にあると言う。

「……やはり今日はピンクのシルクレースがいいだろうか？　どう思うか」

　もちろん、彼の数少ない友人、やはりピンクのシルクのような後羽をもった麗しき妖精殿への問いかけだったが、彼女はひらひらとレースの上を舞うばかり。小さな金平糖めいた粉は、今度は水色をうっかりいたずらし
てショッキングオレンジの斑に変えてしまいかねないので、イギリスのクローゼットの中のエプロンはますます増えるばかりだ。

「いやしかし、白も捨てがたいな。日本が料理しているときの服も白だったし、白というのは、料理上手になるまじないでもかけられているのだろうか」

　どう思うと視線をやるのは、まんまるとしたミントグリーンの風船めいた生物。やはり妖精の一人だ。
　やっぱり彼も（いや、性別がふよふよした生物にあるかどうか怪しい限りだが）レーヨンの裾を泳ぐばかり。

「うむ」

　しかし、イギリスは意に介さず真剣に悩み、悩み、悩み……。




　それから五時間後、イギリスの元弟、アメリカはカークランド邸のほんの数キロ先にいた。

「どうだい、アル。新作の乗り心地は」
「まあまあだね。こないだのロデオ大会よりはマシかな」

「ＨＡＨＡＨＡ！　我らが祖国は手厳しい！」
「でも、監視網をかいくぐれるのは悪い気はしないよ」
「しかし、お忍びにこんなことをするなんて」
「のったのは君たちだろう。じゃあ、俺降りるね」
「ＲＯＧＥＲ（了解）」「ＧＯＯＤ　ＬＵＣＫ！」

　酸素マスクを装着し、ステルス戦闘機は急降下を始める。数キロの垂直方向を落下よりも加速して、加速して。数キロ先と言っても、上空数千メートルと言いかえるのも野暮ったく、カークランド邸の庭が広大なことをいいことに、大切に主人が育てている草花なんぞお構いなしに遊びに来たぞ！という名のもとに殲滅しようとしたところ、レーダー画面に反応があった。
　高エネルギー出力の拡張。

　これが戦場なら、どんな兵器が現れたか、劇場のクライマックスの怒涛の展開になだれ込むところだが、あいにくここは、ロンドン郊外の隣村では今日も、いまどきスポーツ実況をラジオで流すパブと、住民すべてを把握している雑貨屋ぐらいしか人の集まることのない片田舎だ。
　

「まさか、バレ……た？」

　エネルギー蓄積を示す値が跳ねあがっていく、きわめて近い場所で。映画なら主人公がオーマイゴッドと叫んでいてもおかしくないが、しかし彼は心の底から自分をヒーローだと信じ切っていたので、そんな存在があるならそれを乗り越えることを目指すべきというありがちな展開に傾いた。あからさまに赤いボタンに手をかける、彼らの友人である東洋の古参国なら「ポチっとなですね！」とか「うなれ私の螺旋力！」とか叫んでいたかもしれないが、残念ながら、衝撃音がその瞬間をかき消したため、特に何も、なかったのである。

　そう、特に、何も。
　ほんの少し、アメリカが認識することもない妖精だとか、家畜のニワトリや牛たちが空を見上げたくらい。

　非常脱出ボタンでパラシュートを使い降下したアメリカを待ち受けていたのは、イギリスだった。

　正確にはイギリスしかいなかった。彼はアメリカを見つけて笑った。

「おい、久しぶりだな！」
「久しぶりも何も、どこに行ったんだよ、君んち！」
「ああ、大方また妖精のいたずらで透明にしたんだろ」

　そう、エプロン満載の部屋も、何かが発生したに違いないキッチンも、エログッズがいたるところに収納してある寝室も、少なくとアメリカの視界には見えなくなっていたのである。
　イギリスをぶん殴ろうかと近づいても、見えない壁に阻まれて、蹴りあげたらそれなりに痛かった。石造りの家主の頭にそっくりの感触だ。

「おや、スコーンも消えてる」
「見えなくなったんじゃないのかい」
「そんなくそっ！　今日はとっときのエプロンで誠心誠意込めて作った特別製なんだが。あ、勘違いするなよ、べ、別にお前に来て欲しくて焼いたんじゃないんだからな！」
「君のとっときはたいがいろくでもない結果になるけど、どんなとっときだい？」

　嫌な予感がする。

「大枚はたいてこないだノッティングヒルの闇市で手に入れた、透明エプロン」

「……うん、流石の俺でも、この異常事態の原因が何だかは、予想がついたよ」

　あのエネルギー反応。きっと反物質か何かが含まれていてもおかしくない。宇宙空間なら、ブラックホールとかワープ区間とかとんでもない現象の権化になってもおかしくないのだ。家の一つや二つ、ステルスにするくらいできるかもしれない。

　ＳＦ好きの大国としては、妖精や魔法の説明より、そうした解釈の方がしっくりきた。

「さて、問題は一つ」
「どうやって、俺が外に出るか、もしくはお前がここまで来るか、だよな」

　彼らが見えない迷宮から出会うまで、どのくらいかかるか、イギリスの庭に透明な戦闘機が突き刺さっていることに彼の怒りが爆発するまでに、どのくらいかかるか。

　すべては、逃げ出した妖精たちが知るのみである。






ＦＩＮ